2013年12月23日月曜日

とんでもなく面白い本 「富の未来」



上下巻あるのだが、一晩で読み切った。
発刊されたのは2006年とひと昔のような気がするのだが、
内容は今読んでも古くない。

下手な推理小説よりも面白かった。
特に上巻はなるほど!と思うこと多数で色々と考えさせられた。
30代のときに読んだときは、恥ずかしながら何ほどもことも感じなかったが、
40代になって読んだら、とてもびっくりした。

もし、自分がトフラー氏と同じ年に12年も歳月を費やして
一冊の本を書ききれるだろうか?
また、これほど的確に具体的な事例とともに世界の動きを
把握、説明できるだろうかと考えると
トフラー氏の偉業がとてもよくわかる気がした。

とにかく知的興奮を覚えたる良書に出会えてよかった。

2013年12月8日日曜日

日の出の景色

日の出の景色がとても好きだ。

珍しいショットが撮れたのでご紹介します。


神様の手の上に乗っている太陽。


深呼吸して、いい一日にしていきたいと思った。

2013年12月7日土曜日

ジブリ「かぐや姫の物語」をみた

映画館で見に行く前にB級だ!という噂が
ネットでていると聞いた。



そんなことはない!
この映画は40代の中年こそ見に行くべきだ。

生きていくのに、一通りのことをやってしまって
自分の限界を知ることや、やるせなさなど知って
生きるということに少し疲れた年齢こそみるべきだ。
(映画館で見ていた時、70歳ぐらいのお父さんはいびきをかいて寝ていた。
 上映時間が2時間半もあったのできっと目覚めはすっきりされたと思う。)

映画の途中で出てくるセリフで、

かぐや姫の幼友達(捨丸)が盗みを働き、逃げる途中で
主人公が声をかけたのがきっかけで捕まり殴られるというシーンがある。
それを後日、かぐや姫が捨丸に謝る場面で
捨丸は「なんでもない。」という。
それに対してかぐや姫も「そう!なんでもない。」とかえす。

このセリフにびっくりした!
そうなんだ、生きるためにはなんでもしなくてはいけない。
きれいごと、正しいことばかりで生きていけるわけでもない。


こだわるからおかしくなるんだ。
執着するからおかしくなるんだ。

意に染まないことが多いけど、
さらと流せることもある。
しかし、なんとか流されまいと川の中の岩にしがみつかなければいけないときもある。
生きていればどうしても悩む。


ビジネスでは2軸(4マス)で表現して問題をとらえることがあるけど、
もうそんな次元では表現できない、解決することができないことが山ほどある。


「生きろ」というメッセージをしっかりと受け取ることができた映画に出会えて幸せだ。

今年見た映画(風立ちぬ」)を思い出してみて

今年公開された宮崎駿監督の「風立ちぬ」を夏に家族で見た。



見ていて、涙が出た。

初めてではないだろうか・・、
宮崎監督の映画を見て泣いたのは。

激動の時の中で、
必死に生きていこうと奈緒子さんや堀越次郎さんの姿に
何度もじーんときた。


「堪うる限りの力を尽くして生きる」
というメッセージがこの映画には込められているそうだ。


この映画へ色々と批判があるらしい。
そんなことは問題でも何でもない。

そんな時代だったということを、
今とは違う価値観だったということを知ることが大切だ。

そして、偉大な先輩方の生き方から
今を生きる自分がなにを引き継いでいくのかを
自分の頭で考えなければいけない。
答えはみんな違う。

2013年11月9日土曜日

目の前のことに集中することと断捨離

「考えない練習」小池龍之介著を読んでいて気付いたことがある。



「断捨離」という言葉を自分なりに解釈すると
”無駄なものを整理すること”となる。
極力いるものだけに絞り、要るものをいつでも利用できるように
整理しておくぐらいに思っていた。
しかし、この著書では無駄なもの、いつか見るかもしれないものなど
もったいないと思って置いておくと頭の片隅でそれが生き続けて
たとえば0.05秒など頭をそのことで利用してしまうとのことが書いてあった。

それは、いけない。
目の前にあることに集中するためには、それは無駄な思考を生む。
つまり脇道にそれることになる。


そこで、あまり着なくなった服を処分、またいつか見ようと思っていた番組を消す。
どこまで頭の掃除になるのかわからないが
これからも物ごとにしがみつかないようにして心に要らないものが
入ることを防ごうと思う。

しかし、パソコンを立ち上げるとついメールチェック、サイトチェックをしてしまい
無断な時間の大量生産をしてしまう・・・。

2013年11月3日日曜日

電子書籍を10カ月使ってみて、わかってきたこと

今年の1月に電子書籍(ソニー、PRS-350)を購入した。
この製品は、なかなかの優れ物で手書きメモも残せます。



電子書籍内には
宮本武蔵、
三国志、
開高健全集、
竜馬がゆく、  など300冊ほどを入れて、ほぼ毎日に持ち歩きました。


その結果は当然かもしれませんが、
読書の質という点でかんがえると「紙媒体」にはかなわないということです。
とても残念ですが事実です。
読書はフォント、紙(色、肌触り)などプロの編集技術がとても重要な要素を
占めている場合があります。
単に文章の羅列でいい場合は電子書籍はうってつけです。
しかし、そのような文章に価値はあるのかはなはな疑問です。
よいものは色々な方の汗と経験を必要としていると思います。


現在は、再び紙の本を手にとって読むスタイルにシフトをしています。
電子書籍だけではなくて、電子書籍は読書スタイルの一部としてあるのがいいようです。


また、さらに残念なのが電子書籍ストア Reader™ Storeです。
http://ebookstore.sony.jp/

電子書籍ストア Reader Store マイページ
購入した書籍が「書籍を表示できません」という現象がたびたび発生することです。
そして、その点をメールで連絡すると
型どおりのメール本文を送ってきて、「今後気をつけます」と言いながら
品質が改善される見込みがないとしか感じられません。
おそらく品質を上げるための検査費用よりも、連絡がきた顧客にだけ対応していく方が
費用が安いということなのでしょうが、
どうでもいい本とそういう対応してはいけない本との区別もつけられない本屋に
なんの価値があるのでしょうか?


ウォークマンに出会ってから20数年ソニーファンでしたので、
電子書籍もソニー、本を購入するのもソニーでと考えていました。
家電でソニー製品がある場合は、すべてソニーで揃えていました。
それはソニーでとてもいい体験を続けていましたからです。
とても残念です。
いっそ、”ソニー”という名前がついていない本屋だったら諦めもつくのにとも思いました。

2013年10月28日月曜日

第3回大阪マラソンに参加して考えたこと

マラソン、
この容易に思い通りにならなくて、痛いスポーツ。
しかし、感動のスポーツよ。


今回でフルマラソンに参加するのは2回目。
前回の大阪マラソンよりも、体への負担が大きくて過酷に感じた。


昨年は25kmで歩いた。
今年は35kmで歩いた。


35km付近で完全に走ることができなくなった。
とても足が痛くてどうしてもだめになった。
歩くこともままならず、側道を走る自転車を見て
「乗せて・・・」、「ゴールまで連れて行って!」と
心の中で思ってしまった。
沿道の皆さんの声援も耳に入らない。


今年はテーピング、バイオギア、BCAA(大塚製薬)、知識など
日々の努力以外でできることはすべてした。
しかし、結果は途中で歩いてしまった。


今年、目標としていたのは”完走”。
歩くことなく、走り続けること。
しかし、この目標は果たせなかった。

親からもらった身体能力や、
日々奥さんに栄養のある食事を
出していただいているだけではどうにもならない。

もっと平素の自分の鍛錬が必要なんだ。
借り物の装備や知識だけではだめなんだ。

目標は大きく。しかし、行動や実行は緻密にしなければだめなんだと知覚できた。
自分はどうも実行が粗いことを改めて知った。

この苦しい、容易に思い通りにならない
スポーツに出会えてよかったと思う。



2013年10月20日日曜日

認める、認められるの前に大事なこと

社外の人と商談をしている時に、
何の拍子かわからないが人材(人財)の話になった。

その人が「その人の仕事内容を認める」ことが大事ですねと
その方が言われたので、
「認める、認められるの前に大事なことがあります、
 ここに居ていいんだよということがまず大事です。」と
自分の意見を言ってしまった。

伝わったかどうかはわからないが、
私の真意は、認めるということがでてくると
調子のいい時、結果が出ているときはいいが
調子の悪い時はつまはじき者になってしまうではないか・・。
そうではなくて、まずはその人の存在をすべて肯定できることが
大事なんだと思う。


認めるということは、夏の線香花火みたいなものではないでしょうか?

2013年10月8日火曜日

会社は利益のためにあるのではない。   ドラッカー

会社は利益のためにあるのではない。


企業とは何かを知るためには、
企業の目的から考えなければいけない。
企業の目的は、それぞれの企業の外にある。
企業は社会の機関であり、
その目的は社会にある。
企業の目的の定義はひとつしかない。

それは、顧客を創造することである。


以上は、ドラッカーのマネジメントに書いてある言葉だ。
つい利益を出すことを優先させてしまうが
そうだ。
答えは外にあるんだ。

企業内でどんなにごちゃごちゃ話し合っていても
なにも産まないんだと気がつかせてくれた。

感謝。

2013年10月7日月曜日

どんなに本を読んでもだめなこと

どんな本を読んで勉強しても、私は、有意義で長続きする変化を作り出せなていない。

その理由は、場当たり的に考えて対処療法に陥り、本当に自分と向かい合って
人生の目的を決定しようとしていないからだと思う。


実践して経験することが大切だ。

2013年10月6日日曜日

デューク更家氏の逸話

今日、住吉川沿いを走っていて
突然、デューク更家の逸話を思い出した。

まだ、売れていないときに神戸で講演があったが、
そこまでの交通費がなため大阪から神戸まで
歩いて行ったという。
そして、そこでの講演で「これでやっていける」という
手ごたえを得て、そこから色々な紆余曲折はあるにせよ、
そこから多くの方に支持をされるまでになったという逸話だ。

おそらく、大阪から神戸まで少なく見積もっても40kmはあるはずだ。
その歩いている間、デューク更家氏はきっと無になっていたのではないだろうか?

結局、誰がなんと言おうが”信念”をもって行動することが大切なような気がする。
そして、絶えず喜んでいただくこと、いつも感謝の心を忘れていなけば
生きているような気がする。
社会から生かしてもらえるような気がする。

こんなことを考えながら走っていました。

現場主義で行こう!




ここ3カ月ほど、物流をコンパクト(少ない物量、場所)にする
取り組みをしているが、
会議室で話し合う解決策にはろくなものはないと思う。
つまり、時間の浪費になっているのだ。


それよりも現場で担当者と一緒に話をし、
実際に棚を動かしたり、メジャーで測ったりして
話し合うことのほうがずっとスムーズに、しかも着実に進むことに気がついた。

エクセルのリスト、浮ついた会議では何も進まないのだ。
それよりも気持ちよく仕事を進めてもらえるように
現場の指導者とその部下に敬意を払うことが大切だと思った。


そのためには、辛抱強く何度も何度も現場の話を聞くべきだ。
自分の意見よりを主張することより相手の話を引き出すのだと思った。










現場にこそ、問題の核心はある。
顔を出し、居続けることが大切だと思う。

2013年10月4日金曜日

ありがとう!を、今日何回言った?

今日、何回「ありがとう!」を言っただろう。

「あいつ、ばかだね」
「○×のこんなところがだめだ」など、
恥ずかしながら人をけなす、こきおろす言葉は
スラスラ出てくるのに、ありがとうという言葉や
助かったよなどの感謝の言葉が意外と少ないことに愕然とする。
ありがとうを言うことで自分が損をするみたいになっていないだろうか?

「ありがとう」と言おう!
そして、何回言ったのかを記録を取ろうと思う。

2013年8月31日土曜日

「Fight For Liberty」の歌詞を見て気がついたこと

歌に衝撃をうけた。

40歳を過ぎた中年には、
歌詞がなにやら思い当たることの多い。


☆がむしゃらに追う姿が・・

→若い時にがむしゃらにやるよりも、少し斜めに構えて
  仲間にまぎれている方が精神的に楽。
  しかし、それでは満たされない心があることに気がつく。
  そうすれば一人で生きていけるだけの力をつけるしかない。

☆人生が二度あるならこんな険しい道は選ばないだろう・・

→忘れがちだが、死んだら終わり、
 最後の瞬間に何を思い死ぬのだろうとかんがえなければいけない。
 たしか、ジョブズは、このままでいいのか?という問いに3日続けてNOならば
 なにかを変えなければいけないと言っていたはず。
 惰性で生きていくにはあまりにも人生はもったいなさすぎる。

☆負けを認め逃げ行く者に優しく手を差しのべる世界は無い・・

→そうなんだ。

  この世はだめなやつには厳しい。
  親しい仲間内で慣れ合いでその場をしのげることもあるが、
  しかし、必死で努力を続けて生きていくしかないという覚悟が必要だ。
  そうすれば、なんとか道を切り開いていけることが確かにある。
  これは真実だ。
 
☆生きると死ぬのその真ん中辺りで、生きるを忘れ過ごす者ばかり・・

☆戦う時はいつだって一人だぞ、でも一人じゃない事もわかるだろ?・・
 
→そうだ。
  努力する人の結果がでる段になって、
  または、その活動が時流に乗れるようになって他の人もついてきてくれるように思う。
  
  自分一人でも生きていける覚悟(強さ)と
  その上で、他の人も包み込める懐の深さ(やさしさ)が大切だと
  気がつかせてくれているように思う。


2013年8月4日日曜日

タイガーマスクの言葉

昔、「タイガーマスク」というアニメがあった。

タイガーマスクのストーリー画像1

このアニメのシーンの中で

なぜ、自分よりも強敵と戦うのかということに対して
タイガーマスクの返答がよかった。


「大人になったとき
 いくら全力を尽くしても
 幸せになれるとは限らない。
 それでも全力を尽くすべきだ。

 なぜって、それが人間の生きる道だ。」



ボービー・ジョーンズやほかの偉人も
このようなことを言っていたとあったと思う。

真理の一つだと思う。

2013年8月3日土曜日

『島唄』と戦争

もうすぐ終戦日・・・。

明日があると思えるのは
なんて幸せなんだろうと思う。

明日がないかも
もう会えないかもと思うなら
今の目の前のことにしっかりと向き合うしかない。

そして、ふと『島唄』を思い出して敗戦を思い、
今の自分があることと、先人の苦労を思い
感謝の気持ちが、突然溢れた。


『島唄』は、
今を生きている、いや、生かしてもらっている自分たちには
知るべきことがあることを思い出させてくれる。
歌の力を感じる。感謝。



『島唄』の歌詞
でいごの花が咲き
風を呼び 嵐が来た

でいごが咲き乱れ
風を呼び 嵐が来た
繰りかへす哀しみは 島わたる 波のよう

ウージぬ森で あなたと出会い
ウージぬ下で 千代にさよなら

島唄よ 風にのり
鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり 
届けておくれ わたしぬ涙

でいごの花も散り
さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花

ウージぬ森で うたった友よ
ウージぬ下で 八千代ぬ別れ

島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を

海よ
宇宙よ
神よ
いのちよ
このまま永遠に夕凪を

2013年7月13日土曜日

マヨネーズの瓶とビール2杯 

モレスキンのスケジュール帳が好きで使っている。

その関係で、モレスキナリーというサイトを知った。
いろいろと気がつかされることが多くて、
とても素晴らしいサイトだと思う。
http://moleskinerie.jp

logo


そのサイト内で紹介された下記の話は今でもときどき思い出すぐらい、
印象に残っている。
焦って、焦って大切でもないことでもいいから時間を一杯にしてしまおうとする
自分をいさめるときにふと思い出します。

そこで、全文を紹介させていただきました。



インスピレーション:マヨネーズの瓶とビール2杯

http://moleskinerie.jp/2012/11/19-6.html

「たくさんのことが押し寄せて1日24時間では足らないと思う時、マヨネーズの瓶とビール2杯を思い出してほしい・・・ある日の哲学の授業で、教授は突然、マヨネーズの瓶からマヨネーズを取り出し、空っぽになった瓶にゴルフボールを詰め、生徒に尋ねた。「この瓶はいっぱいですか?」と。生徒は「YES」と賛成した。
それから教授は、箱一杯のビー玉を取り出して、そのマヨネーズの瓶の中に入れ始めた。ビー玉はゴルフボールの隙間に入り込む。教授は再び尋ねた。「この瓶はいっぱいですか?」生徒は「YES」と答えた。そして、教授は更に箱一杯の砂を取り出し瓶に入れ始めた。砂は全ての隙間を埋め、教授は尋ねる。「この瓶はいっぱいになりましたか?」この時はさすがに生徒も満場一致で「YES」と答える。すると教授は、テーブルの下から素早くビールを2杯取り出して瓶の中に注いだ。ビールは砂の中に染み込んでいく。生徒たちは笑ってしまった。
笑いが止み、教授は続けた。「このマヨネーズの瓶は、人生を表しています。そして、ゴルフボールはあなたにとって最も大切なことです。例えば、家族、子ども、健康、友人、愛、楽しみなど、この大切なことさえあれば、他の何を失おうともあなたの人生は満たされる、そういう大切なものです。ビー玉は、仕事、家、車など、私たちにとって問題となるようなこと。砂は取るに足らないようなその他のことです。
もしあなたが、この瓶を最初に砂で埋めてしまったら、ゴルフボールの場所は無くなっていたでしょう。人生はこれと同じです。もし全ての時間と労力を取るに足らないことのために使ってしまったなら、本当に大切なことのための場所を失ってしまいます。あなたたちの幸せのために、一番大切なことに集中して下さい。子どもたちと遊び、病院に行く時間を作り、パートナーと一緒に夕飯にでかけ、趣味を伸ばすために練習しましょう。あなたの時間は、本当に大切なことのためにあります。残りはただの砂なのです。」
その時、学生が1人手を上げて尋ねた。「ビールは何を意味しているのですか?」教授は笑って答えた。「その質問を待っていたよ。ビールが意味するところはつまり、例えどんなに人生が忙しくても、友と交わす2杯のビールのための時間はあるってことさ!」

執着してはいけない。

執着(仏教ではしゅうじゃくと読むはず)。

これまでうまく飲み込めなかった言葉の一つだ。

これまで自分は

執着=なにかにしがみつく

     というように考えていた。

こだわるや、突き詰めていくなどは
その道のプロになるには執着しなければ
いけないのではないかと思っていた。


最近、「執着はいけない」ということが
やっとわかった気がした。


自分なりに解釈すると

執着はいけない。
しかし、
向上心には必要なのかもしれない。
(必ずしも必要とは限らない)

たとえば、こうなりたい、
もしくは、もっとこうしていきたい
あの人から愛されたいなど。

何かにこだわる(執着する)のは
今の自分とは違うところへいくための
原動力になると思う。

心がそのことだけに捕らわれていても
だめなんだ。
こだわりつつ距離を置くような
心のあり方が必要なんだと思う。

人生は自分のもんだ。
あきらめられない。
なにかこだわらずにいられない。
だから、こだわることはいいんだ。
しっかりと肯定していい。

しかし、それに捕らわれて
柔軟さをなくしてはいけない。
状況は刻一刻と変わっている。


自分もこのまま終わってしまうのかもしれない。
年が年だし、焦る。

そんな中で
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を
読んでいる中の文章で次の文があった。

 「おれが出ねば天下はどうにもならんか、
  と竜馬はふと誇大夢想を持つのだが、 
  かといって、竜馬にはまだ出る幕が
  なさそうであった。
  ついに生涯、竜馬の出る幕はないかもしれない。
  (そのときは、そのまま死ぬまでよ。命は天にある。)

司馬遼太郎の創作とはいえ
あの竜馬ほどの人物でもとそのように
考えていたのかと思うと勇気をもらえるような気がする。


そして、時と場所が合わなければ
どんなに優秀な自分物でも活躍できないということを
この「竜馬がゆく」にでてくる登場人物は教えてくれる。

2013年6月30日日曜日

神戸マラソンに当選!

大阪マラソンに引き続き、神戸マラソンでも当選通知が来ました。

大阪マラソンは10月27日。
神戸マラソンは11月17日。

当選はうれしいのですが、
走れるか、どうか少々不安です。

昨年は練習不足でしたから、
今年は練習量をきちんと確保していきたいと思います。

KOBE MARATHON 2013 第3回神戸マラソン 2013年11月17日(日)開催 神戸マラソンは復興に向け立ち上がる人々にエールを送ります。

2013年6月23日日曜日

ランニングをしていて気がついたこと(今の自分ができることをする)

住吉川沿いに走っていて気がついたことがある。

スピードを他の人と比べても仕方がない。
とても速く走っている人もいれば、ゆっくり歩いてる人もいる。人それぞれだ

そして、20代のころの自分と比べても仕方がない。
今の自分と向き合って精一杯できることをするしかないと感じた。
しかも、年をとってくれば少々の無理がきかなくなるから
目標を立てて順序立ててやっていかないといけない。


これは頭で考えていては感じることができなかったことだ。

2013年6月21日金曜日

第3回大阪マラソンに当選!

昨年に引き続き今年も大阪マラソンに当選しました!

昨年はなんとか6時間を切るのがやっとでしたので、
(途中から歩くのがやっとでした。)
今年はなんとかゆっくりでいいので走り切りたいと思います。

OSAKA MARATHON 2013

2013年6月2日日曜日

ドラッガーのマネジメント

誰かと一緒に働くこと、
そして、ともに成果をあげることはとても素晴らしい!
もちろん、自分一人でも成果をあげることができること。


これをドラッガーの”マネジメント”と照らし合わせて考えてみると


一人ひとりが”プロ”であること。
まずはこれが大前提であることがわかる。
そのうえで一人一人の力を集約すること。
集約のためにマネジメントが存在する。

だから組織は慣れ合いではだめで、
一人ひとりがきちんと独り立ちをしていけるように
失敗してもOKの風土があることや、
組織に個人の成長を促す仕組みがあることが必要だ。

と、最近気がつく。

「世界がもし100人の村だったら」を読んで。

つい、今生きている社会の状態が当たり前だと思ってしまう。

水がでる。
暖かいお風呂に毎日入れる。
食べ物には困ることはない。
(それどころか、食品ロスを啓蒙しなければいけないぐらい)

でも、世界は決してそんな国ばかりではないことを
改めて思い知ることができる本だ。



そして、日本で今の生活(社会)を維持するためには
それ相当のお金が必要だと思い知る。

しかし、今の生活を快適にしすぎて
サービスが過剰になってきているのではないだろうか?
だから、お金がかかる。

少しエアコンの温度を下げるや
食べ物を無駄にしないなどは
今にして思えば当たり前。

今の日本の状態で育てられている
子供の未来は大丈夫だろうか?

生き続けるためのハングリーさが
足りなくなっているのではないだろうか?

2013年5月25日土曜日

チャンス(機会)は2度とこない

随分、年を重ねてきたような気がする。
もう40代。

この年になると気がつくことがある。

その中の一つに、
”チャンスは2度とはこない”ということがある。

似たようなチャンスがくることが
まれにあるかもしれない。

しかし、それは全く以前のものとは同じではない。

チャンスがあるならつかめ。
いつ来るかわからない、
いや来ないかもしれない。

でも、来るかもしれないチャンスをつかむために
日々、努力するしかない。


人との関係も同じだと思う。
あとで、こうしておけばよかった・・・と思うことが多いが、
悔やんでもだめ。
2度と戻ってこない。
気配り、目配り、手配りはいつでも欠かせない。

だから、一期一会という言葉で
先人は注意を喚起してくれていると思う。

2013年5月19日日曜日

開高健の言葉、風倒木(ナースログ)。

開高健~河は眠らない~ [DVD]









開高さんの「川は眠らない」というビデオの中に”ナースログ”についての説明個所がある。


説明はとてもシンプルだ。
「無駄なものはなにもない」ということ。


たとえば、
開高さんは自然の中での風倒木を例に出しておられる。




この風倒木は倒れて倒れっぱなしになっている。
これが無駄なように見えていて、
実に貴重な資源なんであって、
風倒木が倒れっぱなしになっていると、
そこに苔が生える、微生物が繁殖する、
バクテリアが繁殖する、土を豊かにする、
小虫がやってくる、その小虫を捕まえるために
ネズミやなんかがやってくる、
そのネズミを食べるためにまたワシやなんかの鳥も
やってくる、森にお湿りを与える、
乾かない、そのことが河を豊かにする、ともう
全てがつながりあっている。

だから、あの風倒木のことを、
森を看護しているんだ、
看護師の役割をしているんだというので
ナースログという。


開高さんは、
この言葉の最後に
人間にとって”ナースログ”とはなにか
無駄なように見えるけれども実は大変に貴重なもの
というものも人間にはたくさんあるんじゃないか?

>何が無駄で何が無駄出ないかはわからないとして

無駄を恐れてはいけないし、
無駄を軽蔑してはいけない。
いつかどこかで、また何か別のかたちで蘇っているのかもしれない。


>ここまできて再度
  開高さんの40歳前後の体験と執筆活動などと重ねながら
  ナースログという言葉を味わうと、落ち込んでいるときなどは
  なぜか静かに頑張ろう・・・と思うことができることが多い。

2013年5月12日日曜日

常寂光寺はすばらしい




新緑が美しい季節に京都の常寂光寺に行ってみたくて行ってきた。

















寺への到着が昼過ぎになってしまって
朝の光の中で新緑を堪能することはできなかったが
やはり、常寂光寺はすばらしい。

落ち着きがあり、きちんとそこかしこが手入れがされていた。

















美しいと感じるためには、ありのままの自然ではだめなんだと思った。
人の手を介さないと美しいとは感じることができない。

キャンプに行った際など
ありのままの自然を感じるような時は
生命の危機を感じる。
本来、自然はとても荒々しいと思う。
いや、命は時としてそうなのか?







常寂光寺のホームページもわびさびが利いて
とてもいい感じだ。
URL:http://www.jojakko-ji.or.jp/

2013年5月6日月曜日

布引の滝、そして、修行僧が滝行で得たかったもの

新神戸駅から歩いて10分ぐらいのところに布引の滝がある。

意外と近いし、山道がきちんと整備されていて
街中を歩いているのと変わらないほど歩きやすい。



 布引の滝は栃木県日光市の華厳滝、和歌山県那智勝浦町の那智滝とともに
三大神滝とされ、日本の滝百選に選ばれているそうです。

(この説明文はwikipediaの記述をそのまま利用させていただきました。)




滝をみていてふと考えたのは
昔からある滝行のことです。

滝に打たれながら修業するという行為は
どのような効果を狙ったのだろうか?

就職できない
仕事がない
転職できない
不慮の事故にあった
フェイスブックの書き込みが気になるなどがない昔は、
今よりも情報が少なかったとはず。

それでも滝行をして振り払いたかった、もしくは、
雑念を消したかったことはなんだったのだろう?


今は、すぐに情報にアクセスできるだけ
”間”がなくて、つかんだ情報も
しっかりと自分の知識にする時間もなくて
誰かの発した言葉を、何とかうわべだけ自分のもののように
しゃべることが当たり前になっているように思える。

昔ならば、情報が少ない分だけ
しっかりと咀嚼していたのではないかと推測するのだが・・・。
昔の方でも悩むのならば
今の自分が日々、悩むのは仕方がないような気がするなどなど
考えながら歩いてきました。




布引の滝から20分ぐらい歩いたところにある布引貯水池。
とても自然と調和がとれた姿に感動。


都会から近いところにこんなにも美しい水を
たたえたところがあるのがとても新鮮な驚きでした。

2013年4月29日月曜日

球聖 ボビー・ジョーンズの言葉

「負け試合から多くを学び、
 勝ち試合からはなにも学ばなかった。」        ボビー・ジョーンズ


深い・・・。
球聖と呼ばれた方が言うから深い。
そして、次の言葉にも含蓄がある。


「運が訪れることを期待して努力し続けなさい。」   ボビー・ジョーンズ



起きている現象はいつでも中立(原因と結果の法則)で、
目標に向かって努力する人にとっては
どんなことも良い解釈が与えられる。
だから危機は危機ではなくて、さらなる高みへの
ステップとなって乗り越えていける。

2013年4月22日月曜日

自分はパイプだと思って地面に向かってイライラを流す

疲れてくると自分のあさましい本性が出てくる。

つい他の人のあらを探したり、
余計なことを言われたことに腹を立てたりと
夜も寝られなくなることがある。

昨夜もそんな夜だった。
気持ちがぎすぎすしてきて
誰かにいらいらをぶつけたくなっていたんだと思う。

そんな私の心を見透かしてか、
奥さんから
「天と地とつなぐ自分はパイプだと思って
 とんがった矢印を流してしまい」と
言われてはっとした。

そうだ勝手にいらいらしていたのは自分だった。
妄想が妄想を読んでしまって
他人を攻撃してやろうなどと考えていた。

どんだけ年を重ねているんだと思うと
恥ずかしくて居たたまれない。
いい男になりたい。

2013年4月13日土曜日

偉大な先輩たちに相談するという読書方法

ノートに悩みを書く。

その答えを偉大な先輩にお聞きするという積極的な姿勢で
本を開き、読んでみる。

仕事の進め方や仕事のやりがいならばドラッカー先生に聞く。
人生の悩みごとならば松原泰道先生にうかがうなど。

読んでわかったことを書く。
書いたことを眺めてみる。


この方法だと、最初から最後までを漫然と読んでいるだけでは
得られない、とても良い読後感が得られることに気がついた。

ガネーシャの教えとたらいの水



以前、夢をかなえるゾウで紹介されていることを実体験すれば
夢をかなえられるのかということをしていたが、トイレ掃除などを
実行している中で大事なことが体得できたように思う。


それは”おおきに(ありがとう)”ということ。


皆様のおかげで自分は十分に満たされて幸せだということを感じること。
その幸せの感覚を他の人へ循環させること。
(報酬を期待するのはではなくて、素直にその気持ちを表現すること)


この感覚を、二宮金次郎は「たらいの水」で表現していた。
”たらい”にはいっている水を手前に寄せようとしても
どんどん水は逃げていく。
しかし、逆に水を向こう側に送れば自分のほうへ戻ってくる。
(この話には必ず報われるという前提がついているから注意が必要だ。)

2013年3月24日日曜日

気がつけば、我が家の庭にも春がきていた

奥さんから指摘を受けるまで
気がついていなかった。

見ているようでなにも見ていないと反省。


朝露にも天地がある
(たしか、開高健の言葉だったと思う)