これまでうまく飲み込めなかった言葉の一つだ。
これまで自分は
執着=なにかにしがみつく
というように考えていた。
こだわるや、突き詰めていくなどは
その道のプロになるには執着しなければ
いけないのではないかと思っていた。
最近、「執着はいけない」ということが
やっとわかった気がした。
自分なりに解釈すると
執着はいけない。
しかし、
向上心には必要なのかもしれない。
(必ずしも必要とは限らない)
たとえば、こうなりたい、
もしくは、もっとこうしていきたい
あの人から愛されたいなど。
何かにこだわる(執着する)のは
今の自分とは違うところへいくための
原動力になると思う。
心がそのことだけに捕らわれていても
だめなんだ。
こだわりつつ距離を置くような
心のあり方が必要なんだと思う。
人生は自分のもんだ。
あきらめられない。
なにかこだわらずにいられない。
だから、こだわることはいいんだ。
しっかりと肯定していい。
しかし、それに捕らわれて
柔軟さをなくしてはいけない。
状況は刻一刻と変わっている。
自分もこのまま終わってしまうのかもしれない。
年が年だし、焦る。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を
読んでいる中の文章で次の文があった。
「おれが出ねば天下はどうにもならんか、
と竜馬はふと誇大夢想を持つのだが、
かといって、竜馬にはまだ出る幕が
なさそうであった。
ついに生涯、竜馬の出る幕はないかもしれない。
(そのときは、そのまま死ぬまでよ。命は天にある。)
司馬遼太郎の創作とはいえ
あの竜馬ほどの人物でもとそのように
考えていたのかと思うと勇気をもらえるような気がする。
そして、時と場所が合わなければ
どんなに優秀な自分物でも活躍できないということを
この「竜馬がゆく」にでてくる登場人物は教えてくれる。
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