開高さんの「川は眠らない」というビデオの中に”ナースログ”についての説明個所がある。
説明はとてもシンプルだ。
「無駄なものはなにもない」ということ。
たとえば、
開高さんは自然の中での風倒木を例に出しておられる。
この風倒木は倒れて倒れっぱなしになっている。
これが無駄なように見えていて、
実に貴重な資源なんであって、
風倒木が倒れっぱなしになっていると、
そこに苔が生える、微生物が繁殖する、
バクテリアが繁殖する、土を豊かにする、
小虫がやってくる、その小虫を捕まえるために
ネズミやなんかがやってくる、
そのネズミを食べるためにまたワシやなんかの鳥も
やってくる、森にお湿りを与える、
乾かない、そのことが河を豊かにする、ともう
全てがつながりあっている。
だから、あの風倒木のことを、
森を看護しているんだ、
看護師の役割をしているんだというので
ナースログという。
開高さんは、
この言葉の最後に
人間にとって”ナースログ”とはなにか
無駄なように見えるけれども実は大変に貴重なもの
というものも人間にはたくさんあるんじゃないか?
>何が無駄で何が無駄出ないかはわからないとして
無駄を恐れてはいけないし、
無駄を軽蔑してはいけない。
いつかどこかで、また何か別のかたちで蘇っているのかもしれない。
>ここまできて再度
開高さんの40歳前後の体験と執筆活動などと重ねながら
ナースログという言葉を味わうと、落ち込んでいるときなどは
なぜか静かに頑張ろう・・・と思うことができることが多い。