2010年8月28日土曜日

ソクラテスの弁明、クリトン プラトン著

「無知の知」という言葉で知られているが、確かに自分の知っていることは
たかが知れていると頭では思っていても、つい年をとると知らないという態度が取れない、
素直になれない。
昨年の自分は新しい知をもとめる努力することなく、自らがそれまで経験していたことをもって
いろいろなことを慮っていた。なんと愚かなんだろうとおもうし、恥ずかしい。
(周りの方々にも多大な迷惑をかけていたと思う、自分自身は今もその時のことを思うと
 とてもつらく、苦しい、しかし、この数カ月乗り越えてきてくれた自分自身と支えてくれる人たちの
 おかげで今は気持がぐらつく時間がすくなくて済む。)
終生勉強という意味を初めて身にしみてわかった気がしている。

こんな経験をしたからだろうと思うが、
昔から読みかけてどうしてもすぐに挫折をしていたこの本が今回はとてもすんなりと
受け入れることができた。


いくつか気になった文章をピックアップする。

有名な件は以下の個所で見事な論理だ。
「死とは人間にとって福の最上なるものではないか
どうか、何人も知っているものはない、しかるに
人はそれが悪の最大なるものであることを確知している
かのようにこれを恐れる。これこそまことにかの
悪評高き無知、すなわち自ら知らざることを知れりと
信ずることではないか。」

「私は、少なくとも自ら知らぬことを知っているとは
 思っていない限りにおいて、あの男よりも知恵の上で
 少しばかり優っているらしく思われる。」

「その業とせる技芸に熟練せる故をもって、他の最大な
 事柄に関しても最大の識者であると信じていた」

「できる限りの多量の蓄財や、また名聞や栄誉のことを
 のみを念じて、かえって、少しも気にかけず、心を
 用いもせぬことを君は恥辱とは思わないのか」

もっとも痛烈なのは、愛息に対しても

「諸君、他日私の息子どもが成人した暁には、彼らを
 叱責して、私が諸君を悩ましたと同じように彼らを
 悩ましていただきたい、いやしくも彼らが徳よりも
 以上に蓄財その他のことを念頭に置くようにみえたならば。
 また、もし彼らがそうでもないくせに、ひとかどの人間らしい
 顔をしたならば、その時諸君は私が諸君にしたと同様に
 彼らを非難して、彼らは人間の追求すべきものを追求せず、
 何の価値もないくせにひとかどの人間らしい顔をしているといってやって
 いただきたい。諸君がそうしてくれるのならば、その時、
 私自身も私の息子どもも、諸君から正当の扱いを受けたというべきである。」

もし、自分がどんなに冷静だとしても、この心境はまだまだ到達できていない。
昨年の出来事は、起こるべくして起こっている。
きちんとうけとめなければいけない。


ソクラテスは違う、もう死にそうなくらいの高齢なのにきちんと自らを最後まで
律することを失うことなく、アテナイ市民だけではなく後世の私にまで語りかけてくれる。

「徳を身につけよ」と。

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