2013年7月13日土曜日

マヨネーズの瓶とビール2杯 

モレスキンのスケジュール帳が好きで使っている。

その関係で、モレスキナリーというサイトを知った。
いろいろと気がつかされることが多くて、
とても素晴らしいサイトだと思う。
http://moleskinerie.jp

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そのサイト内で紹介された下記の話は今でもときどき思い出すぐらい、
印象に残っている。
焦って、焦って大切でもないことでもいいから時間を一杯にしてしまおうとする
自分をいさめるときにふと思い出します。

そこで、全文を紹介させていただきました。



インスピレーション:マヨネーズの瓶とビール2杯

http://moleskinerie.jp/2012/11/19-6.html

「たくさんのことが押し寄せて1日24時間では足らないと思う時、マヨネーズの瓶とビール2杯を思い出してほしい・・・ある日の哲学の授業で、教授は突然、マヨネーズの瓶からマヨネーズを取り出し、空っぽになった瓶にゴルフボールを詰め、生徒に尋ねた。「この瓶はいっぱいですか?」と。生徒は「YES」と賛成した。
それから教授は、箱一杯のビー玉を取り出して、そのマヨネーズの瓶の中に入れ始めた。ビー玉はゴルフボールの隙間に入り込む。教授は再び尋ねた。「この瓶はいっぱいですか?」生徒は「YES」と答えた。そして、教授は更に箱一杯の砂を取り出し瓶に入れ始めた。砂は全ての隙間を埋め、教授は尋ねる。「この瓶はいっぱいになりましたか?」この時はさすがに生徒も満場一致で「YES」と答える。すると教授は、テーブルの下から素早くビールを2杯取り出して瓶の中に注いだ。ビールは砂の中に染み込んでいく。生徒たちは笑ってしまった。
笑いが止み、教授は続けた。「このマヨネーズの瓶は、人生を表しています。そして、ゴルフボールはあなたにとって最も大切なことです。例えば、家族、子ども、健康、友人、愛、楽しみなど、この大切なことさえあれば、他の何を失おうともあなたの人生は満たされる、そういう大切なものです。ビー玉は、仕事、家、車など、私たちにとって問題となるようなこと。砂は取るに足らないようなその他のことです。
もしあなたが、この瓶を最初に砂で埋めてしまったら、ゴルフボールの場所は無くなっていたでしょう。人生はこれと同じです。もし全ての時間と労力を取るに足らないことのために使ってしまったなら、本当に大切なことのための場所を失ってしまいます。あなたたちの幸せのために、一番大切なことに集中して下さい。子どもたちと遊び、病院に行く時間を作り、パートナーと一緒に夕飯にでかけ、趣味を伸ばすために練習しましょう。あなたの時間は、本当に大切なことのためにあります。残りはただの砂なのです。」
その時、学生が1人手を上げて尋ねた。「ビールは何を意味しているのですか?」教授は笑って答えた。「その質問を待っていたよ。ビールが意味するところはつまり、例えどんなに人生が忙しくても、友と交わす2杯のビールのための時間はあるってことさ!」

執着してはいけない。

執着(仏教ではしゅうじゃくと読むはず)。

これまでうまく飲み込めなかった言葉の一つだ。

これまで自分は

執着=なにかにしがみつく

     というように考えていた。

こだわるや、突き詰めていくなどは
その道のプロになるには執着しなければ
いけないのではないかと思っていた。


最近、「執着はいけない」ということが
やっとわかった気がした。


自分なりに解釈すると

執着はいけない。
しかし、
向上心には必要なのかもしれない。
(必ずしも必要とは限らない)

たとえば、こうなりたい、
もしくは、もっとこうしていきたい
あの人から愛されたいなど。

何かにこだわる(執着する)のは
今の自分とは違うところへいくための
原動力になると思う。

心がそのことだけに捕らわれていても
だめなんだ。
こだわりつつ距離を置くような
心のあり方が必要なんだと思う。

人生は自分のもんだ。
あきらめられない。
なにかこだわらずにいられない。
だから、こだわることはいいんだ。
しっかりと肯定していい。

しかし、それに捕らわれて
柔軟さをなくしてはいけない。
状況は刻一刻と変わっている。


自分もこのまま終わってしまうのかもしれない。
年が年だし、焦る。

そんな中で
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を
読んでいる中の文章で次の文があった。

 「おれが出ねば天下はどうにもならんか、
  と竜馬はふと誇大夢想を持つのだが、 
  かといって、竜馬にはまだ出る幕が
  なさそうであった。
  ついに生涯、竜馬の出る幕はないかもしれない。
  (そのときは、そのまま死ぬまでよ。命は天にある。)

司馬遼太郎の創作とはいえ
あの竜馬ほどの人物でもとそのように
考えていたのかと思うと勇気をもらえるような気がする。


そして、時と場所が合わなければ
どんなに優秀な自分物でも活躍できないということを
この「竜馬がゆく」にでてくる登場人物は教えてくれる。