2011年12月4日日曜日

ノートに思いを綴る

2011年の6月頃からノートにいろいろな出来事を毎日綴るようにしている。


最初は、自分にとって嫌なことや愚痴ばかりだったメモ書きのようなノートも
数ヶ月もすると次第に起こったことを落ち着いて書くようになってきている。

最初、どのように書けばいいのかわからず、
思いつくままに書き散らしていた。


今から振り返ると、その頃の自分は、もうどんだけ心の中が
ぐちゃぐちゃなのかわからないけど
自分のことなのに、書いている内容がむちゃくちゃ恥ずかしいし、
書いていることが理解できないこともあるしでとても見ていられない。

でも、あのまま何も書かずに今も過ごしていたとしたら・・・と、
考えると怖い。
もう2度とあの状態には戻りたくないと思う。


                               普段、愛用しているキングジム レザフェス ノートカバー


書くのはもっぱら夜寝る前の数分から数十分ぐらい。
基本的に、毎日5行ぐらいを書く。

多いときには1ページになることもある。
書いた日には、なにも思わない、気づかないことが多い。


しかし、週末に1週間分を読み返してみるといろいろと考えさせられる。


前の自分が気づいてくれたこと、
そのときに起きた出来事から考えさせられることなどなど。



気づいたことを、さらに書き足したり、気に入った写真やイラストを貼ってみたりしていると
静かで、しかし、とても充実した思いになることができる。

おいしいものを食べる。
起業のCM戦略にのって何かを買ってみる。
(買っても幸せを感じるのは買った瞬間ぐらいなのに。)
飲んで騒いでみる。
刹那的な逃避では、とても得られない感覚だ。


そして、モレスキンに自分が納得できた”ことば”を綴る。
機会があるごとに、この言葉たちを見返す。
自分が腹のそこから納得できた言葉には力がある。


            モレスキンに気づきを綴る             



 
時間がかかるんだ。
自分の中で熟成するまでには。

また、気づいたことも時間が経つと忘れてしまう。
だから、何度も何度も振り返ることも必要なんだと思う。

2011年12月3日土曜日

秋、深まる

 先日、芦屋に行ったときの足元




                     自分のまわりにおこっていることを
                
                   
                     しっかりとみつめる・・・。

 
                     実は、いろいろなところからいろんなことが

  
                     発信されているのではないかな。


                     ついつい、携帯を操作したり


                     せかせかと歩いていると

 
                     いろんなことに気づけずに過ぎていく


                     


ピーター・ドラッカー、ありがとう

第2次世界大戦時でナチスの迫害から逃れてアメリカまで亡命。
このときの体験、経験が原点でそののちの創作活動につながる。


                 Peter Ferdinand Drucker


会社が、社会のニーズや困りごとを解決するならば
その会社を上手に運用することができるならば、
必ず、社会にとって、とてもよい作用が起きる。


では、その上手な運用のためには、彼は

1、社会全体はどのように動いているのか?
(起こっていることは近い未来にどのような作用をもたらすのか?)

2、組織はどのようにあるべきか、
社会の動きに対してどう対応していけばいいのか?

3、個人はどのように対応していけばいいのか?

このことをマネージメントという概念でまとめている。
本当にドラッカーは素晴らしい仕事をしたと思う。



私が、彼の言葉でもっとも心に響いた言葉は、次の言葉です。
(正確には小学校の時の先生の言葉らしいです。)



「あなたは、何で覚えられたいですか?」



いま、(あせるけど)自分はこの質問に答えられない・・・。




ドラッカーは、(たしか)50歳にもなってこの質問に答えられない場合は
残念な人生だと言っている。


まだ、人生は続く(はず)
ぜひ、これこそ!というものに、もっている力を捧げたい!