2013年6月23日日曜日

ランニングをしていて気がついたこと(今の自分ができることをする)

住吉川沿いに走っていて気がついたことがある。

スピードを他の人と比べても仕方がない。
とても速く走っている人もいれば、ゆっくり歩いてる人もいる。人それぞれだ

そして、20代のころの自分と比べても仕方がない。
今の自分と向き合って精一杯できることをするしかないと感じた。
しかも、年をとってくれば少々の無理がきかなくなるから
目標を立てて順序立ててやっていかないといけない。


これは頭で考えていては感じることができなかったことだ。

2013年6月21日金曜日

第3回大阪マラソンに当選!

昨年に引き続き今年も大阪マラソンに当選しました!

昨年はなんとか6時間を切るのがやっとでしたので、
(途中から歩くのがやっとでした。)
今年はなんとかゆっくりでいいので走り切りたいと思います。

OSAKA MARATHON 2013

2013年6月2日日曜日

ドラッガーのマネジメント

誰かと一緒に働くこと、
そして、ともに成果をあげることはとても素晴らしい!
もちろん、自分一人でも成果をあげることができること。


これをドラッガーの”マネジメント”と照らし合わせて考えてみると


一人ひとりが”プロ”であること。
まずはこれが大前提であることがわかる。
そのうえで一人一人の力を集約すること。
集約のためにマネジメントが存在する。

だから組織は慣れ合いではだめで、
一人ひとりがきちんと独り立ちをしていけるように
失敗してもOKの風土があることや、
組織に個人の成長を促す仕組みがあることが必要だ。

と、最近気がつく。

「世界がもし100人の村だったら」を読んで。

つい、今生きている社会の状態が当たり前だと思ってしまう。

水がでる。
暖かいお風呂に毎日入れる。
食べ物には困ることはない。
(それどころか、食品ロスを啓蒙しなければいけないぐらい)

でも、世界は決してそんな国ばかりではないことを
改めて思い知ることができる本だ。



そして、日本で今の生活(社会)を維持するためには
それ相当のお金が必要だと思い知る。

しかし、今の生活を快適にしすぎて
サービスが過剰になってきているのではないだろうか?
だから、お金がかかる。

少しエアコンの温度を下げるや
食べ物を無駄にしないなどは
今にして思えば当たり前。

今の日本の状態で育てられている
子供の未来は大丈夫だろうか?

生き続けるためのハングリーさが
足りなくなっているのではないだろうか?

2013年5月25日土曜日

チャンス(機会)は2度とこない

随分、年を重ねてきたような気がする。
もう40代。

この年になると気がつくことがある。

その中の一つに、
”チャンスは2度とはこない”ということがある。

似たようなチャンスがくることが
まれにあるかもしれない。

しかし、それは全く以前のものとは同じではない。

チャンスがあるならつかめ。
いつ来るかわからない、
いや来ないかもしれない。

でも、来るかもしれないチャンスをつかむために
日々、努力するしかない。


人との関係も同じだと思う。
あとで、こうしておけばよかった・・・と思うことが多いが、
悔やんでもだめ。
2度と戻ってこない。
気配り、目配り、手配りはいつでも欠かせない。

だから、一期一会という言葉で
先人は注意を喚起してくれていると思う。

2013年5月19日日曜日

開高健の言葉、風倒木(ナースログ)。

開高健~河は眠らない~ [DVD]









開高さんの「川は眠らない」というビデオの中に”ナースログ”についての説明個所がある。


説明はとてもシンプルだ。
「無駄なものはなにもない」ということ。


たとえば、
開高さんは自然の中での風倒木を例に出しておられる。




この風倒木は倒れて倒れっぱなしになっている。
これが無駄なように見えていて、
実に貴重な資源なんであって、
風倒木が倒れっぱなしになっていると、
そこに苔が生える、微生物が繁殖する、
バクテリアが繁殖する、土を豊かにする、
小虫がやってくる、その小虫を捕まえるために
ネズミやなんかがやってくる、
そのネズミを食べるためにまたワシやなんかの鳥も
やってくる、森にお湿りを与える、
乾かない、そのことが河を豊かにする、ともう
全てがつながりあっている。

だから、あの風倒木のことを、
森を看護しているんだ、
看護師の役割をしているんだというので
ナースログという。


開高さんは、
この言葉の最後に
人間にとって”ナースログ”とはなにか
無駄なように見えるけれども実は大変に貴重なもの
というものも人間にはたくさんあるんじゃないか?

>何が無駄で何が無駄出ないかはわからないとして

無駄を恐れてはいけないし、
無駄を軽蔑してはいけない。
いつかどこかで、また何か別のかたちで蘇っているのかもしれない。


>ここまできて再度
  開高さんの40歳前後の体験と執筆活動などと重ねながら
  ナースログという言葉を味わうと、落ち込んでいるときなどは
  なぜか静かに頑張ろう・・・と思うことができることが多い。

2013年5月12日日曜日

常寂光寺はすばらしい




新緑が美しい季節に京都の常寂光寺に行ってみたくて行ってきた。

















寺への到着が昼過ぎになってしまって
朝の光の中で新緑を堪能することはできなかったが
やはり、常寂光寺はすばらしい。

落ち着きがあり、きちんとそこかしこが手入れがされていた。

















美しいと感じるためには、ありのままの自然ではだめなんだと思った。
人の手を介さないと美しいとは感じることができない。

キャンプに行った際など
ありのままの自然を感じるような時は
生命の危機を感じる。
本来、自然はとても荒々しいと思う。
いや、命は時としてそうなのか?







常寂光寺のホームページもわびさびが利いて
とてもいい感じだ。
URL:http://www.jojakko-ji.or.jp/