今年の4月からお弁当を奥さんが作ってくれている。
お昼休みにとても元気になる。
いつもありがとう。
ところで、
最近、お弁当をたべていて気が付いたことがあります。
おかずを入れてあるひらひらの容器に文字が印字されていました。
なんだろう?と思って読んでみると
「すごく感謝しているよ」
と、書いてあるではないですか!
単純ですから、すごく嬉しくなりました。
捨ててもいい容器とは分かっていましたが、
きれいに洗って携帯のカメラで写真をとりました。
別の日には、
「こころから 感謝しています!」でした。
冷凍食品とは分かって いますが、
おもわず、ほっこり出来ました。
この容器を開発、生産している会社についても、
特別費用のかかることではないことでしょうから
これはとてもいいアイディアの様に思いました。
2012年5月24日木曜日
2012年5月22日火曜日
金環日食をこの目で見た
5月21日に金環日食がありました。
朝6時半ごろはあいにくの曇り空で観れるかなと心配になりましたが、
7時ごろからすっきりとは晴れませんでしたが、
雲間から太陽が見られるようになってきました。
残念ながら金環日食はきちんと撮影できませんでした。
しかし、この目でしっかりと見ることができました。
興奮しました。
やはり、映像でみるよりも実際にこの目で見ることは大切だなと
改めて感じました。
下記の画像は、観測グラスを通してデジカメで撮影した画像です。
観測後、会社に出勤するべくむかった歩道上で驚きました。
木漏れ日が三日月型になっていました。
びっくりしました。
聞いていたことと、実際に自分が体験するとではえらい違うと
この場面でも思いました。
知ったかぶりはいけない。
朝6時半ごろはあいにくの曇り空で観れるかなと心配になりましたが、
7時ごろからすっきりとは晴れませんでしたが、
雲間から太陽が見られるようになってきました。
残念ながら金環日食はきちんと撮影できませんでした。
しかし、この目でしっかりと見ることができました。
興奮しました。
やはり、映像でみるよりも実際にこの目で見ることは大切だなと
改めて感じました。
下記の画像は、観測グラスを通してデジカメで撮影した画像です。
金環日食前
金環日食後
観測後、会社に出勤するべくむかった歩道上で驚きました。
木漏れ日が三日月型になっていました。
びっくりしました。
聞いていたことと、実際に自分が体験するとではえらい違うと
この場面でも思いました。
知ったかぶりはいけない。
2012年5月19日土曜日
金環日食で注意したいこと。 太陽光は危険、網膜を傷める。
いよいよ金環日食が来週月曜日(5月21日)に迫りました!
国立天文台が公開している計算方法で割り出した金環日食が見られる時間は、
神戸市では午前7時28分から1分半だそうです。
とても楽しみです。
観測するために観測用遮光板を購入しました。
しかし、観測は十分に注意しなければいけない体験をしました。
私は遮光板をつけずに直接、肉眼で太陽の位置を確認してしまいました。
見た瞬間、あっと思いましたがすぐに目をそらしましたが
目の前がぼおっと白くなってしまいました。
(この状態のときは話している相手の顔が白くなってしまって見えない。)
網膜を痛めたかなと思いましたが、
5分後にはなんとか元に戻りました。(ほっとしました。)
国立天文台が公開している計算方法で割り出した金環日食が見られる時間は、
神戸市では午前7時28分から1分半だそうです。
とても楽しみです。
観測するために観測用遮光板を購入しました。
しかし、観測は十分に注意しなければいけない体験をしました。
私は遮光板をつけずに直接、肉眼で太陽の位置を確認してしまいました。
見た瞬間、あっと思いましたがすぐに目をそらしましたが
目の前がぼおっと白くなってしまいました。
(この状態のときは話している相手の顔が白くなってしまって見えない。)
網膜を痛めたかなと思いましたが、
5分後にはなんとか元に戻りました。(ほっとしました。)
事前に注意しなければいけないことを新聞の記事を読んだりして
知っていたはずなのに、恥ずかしいかぎりです。
観測するときは、”意識をして”観測板を目につけてから太陽を見るようにしなくてはいけません。
小さい子供がいる場合は、そばにいて十分に注意してあげる必要があります。
太陽の光は危険です!
100年前の1912年にドイツで観測された日食の際には、
およそ3,500人が眼球の奥の網膜を痛める「日食網膜症」になったそうです。
2012年5月18日金曜日
君のこころに「ありがとう」
今日、子どもと奥さんのちょっとしたやり取りを聞いて
涙がでそうになった。
子供が、他の子供から指摘されたのか、
自分の耳の形が気になるようで
子 :「どうして、こんな形なの?」
奥さん :「友達に言われたの?」
子 :「うん」
奥さん:「お母さんは、その形好きだよ」
子供 :「ありがとう」
自分が子供から聞かれたら
「気にするな」とか言ったのではないかな?
いいんだよ。
そのままでいいんだよ。
そのままを肯定してもらえることのうれしさや喜び。
理屈なんていらない。
涙がでそうになった。
子供が、他の子供から指摘されたのか、
自分の耳の形が気になるようで
子 :「どうして、こんな形なの?」
奥さん :「友達に言われたの?」
子 :「うん」
奥さん:「お母さんは、その形好きだよ」
子供 :「ありがとう」
自分が子供から聞かれたら
「気にするな」とか言ったのではないかな?
いいんだよ。
そのままでいいんだよ。
そのままを肯定してもらえることのうれしさや喜び。
理屈なんていらない。
2012年5月11日金曜日
こどもと過ごす大切な時間
GWに子供たちと過ごしていて感じたことのなかで、
親として、子ども達とどのようにつながるのかということがあった。
つまり、一緒に過ごしている時間が長いからと言って
本当に満足できるように子ども達とつながっているのか?
というと、そうでもない。
たとえば、下記のようなやり取りをしてしまった。
出かける前の朝のやり取り
子「・・・してもいい?」
親「今しなければいけないことがあるから、少し待ってね。」
子「・・・してもいい?」
親「もう少し待ってね。」
子「・・・してもいい?」
親「まだ、だめ。〇〇もしなければいけない。」
子「・・・してもいい?」
親「まだ、まだだめ。」(親が怒りだす・・。)
子「・・・」
親「もう、いいよ。」(このころには、もう2時間近く経っている)
子どもからしたら理不尽だ。
それに当初のわくわくした思いをそがれてしまう。
自分の子どもに限らず、どうやって自分以外の人とコミットメント(つながる)するか
これは、大きな問題だ。
子供が水で描いたグルグル
親として、子ども達とどのようにつながるのかということがあった。
つまり、一緒に過ごしている時間が長いからと言って
本当に満足できるように子ども達とつながっているのか?
というと、そうでもない。
たとえば、下記のようなやり取りをしてしまった。
出かける前の朝のやり取り
子「・・・してもいい?」
親「今しなければいけないことがあるから、少し待ってね。」
子「・・・してもいい?」
親「もう少し待ってね。」
子「・・・してもいい?」
親「まだ、だめ。〇〇もしなければいけない。」
子「・・・してもいい?」
親「まだ、まだだめ。」(親が怒りだす・・。)
子「・・・」
親「もう、いいよ。」(このころには、もう2時間近く経っている)
子どもからしたら理不尽だ。
それに当初のわくわくした思いをそがれてしまう。
自分の子どもに限らず、どうやって自分以外の人とコミットメント(つながる)するか
これは、大きな問題だ。
子供が水で描いたグルグル
2012年4月28日土曜日
Lucky MAN マイケル・J・フォックス
読後感は、ずばり、すばらしい本だと思った。
最初はなにも期待していなかっただけに静かに胸の奥から感動ができた。
(なかなかこのような本には出合えない。)
この本はしっかりと静かに一人で読むべきだ。
健康の素晴らしさ、家族の大切さ、今を生きる大切さがわかる。
「バック・トゥ・ザ・フューチャ」など数々の成功をし若くして大成した著者は
アメリカで大成したものは、世の中がなんでも思い通りになるような
錯覚に陥ることを数々のエピソードを交えて紹介してくれている。
しかし、難病にかかっていることを知る。
現実逃避、恐怖に基づいた計画表の追及などもがき苦しんだ後、
客観的に自分を見つめ始める。
自分を客観的に見つめるうちに
彼の心の中の壁が壊れ、希望があらわれる。
このくだりは難しいが、般若心経の「心無罣礙 無罣礙故」にも
通じるように思う。
自分勝手な解釈が必要なのではない、
ありのままを受け入れることが必要なのだ。
そして、昨日失ったものや、明日来るかもしれない試練のためだけに
今の僕は存在しているのではない。
未来に向けて、日々どんな選択をするかが問題であることに気づき、
目の前にあることに最善をつくすしていく。
「神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、
自分に変えられることは変える勇気と、
そしてその違いがわかるだけの知恵を与えてください。」
ついに、等身大の自分を手に入れていく・・・。
彼の気づきは言葉にすれば簡単なことかもしれない。
でも、彼の言葉をきちんと聞き、体験を追体験することで
得難い哲学が手に入れることができると思う。
真実はいつも簡単なのかもしれない。
そうなんだと心から理解するには相当な経験と時間が
必要なこともこの本からは理解できるような気がする。
最初はなにも期待していなかっただけに静かに胸の奥から感動ができた。
(なかなかこのような本には出合えない。)
この本はしっかりと静かに一人で読むべきだ。
健康の素晴らしさ、家族の大切さ、今を生きる大切さがわかる。
「バック・トゥ・ザ・フューチャ」など数々の成功をし若くして大成した著者は
アメリカで大成したものは、世の中がなんでも思い通りになるような
錯覚に陥ることを数々のエピソードを交えて紹介してくれている。
しかし、難病にかかっていることを知る。
現実逃避、恐怖に基づいた計画表の追及などもがき苦しんだ後、
客観的に自分を見つめ始める。
自分を客観的に見つめるうちに
彼の心の中の壁が壊れ、希望があらわれる。
このくだりは難しいが、般若心経の「心無罣礙 無罣礙故」にも
通じるように思う。
自分勝手な解釈が必要なのではない、
ありのままを受け入れることが必要なのだ。
そして、昨日失ったものや、明日来るかもしれない試練のためだけに
今の僕は存在しているのではない。
未来に向けて、日々どんな選択をするかが問題であることに気づき、
目の前にあることに最善をつくすしていく。
「神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、
自分に変えられることは変える勇気と、
そしてその違いがわかるだけの知恵を与えてください。」
ついに、等身大の自分を手に入れていく・・・。
彼の気づきは言葉にすれば簡単なことかもしれない。
でも、彼の言葉をきちんと聞き、体験を追体験することで
得難い哲学が手に入れることができると思う。
真実はいつも簡単なのかもしれない。
そうなんだと心から理解するには相当な経験と時間が
必要なこともこの本からは理解できるような気がする。
2011年12月4日日曜日
ノートに思いを綴る
2011年の6月頃からノートにいろいろな出来事を毎日綴るようにしている。
最初は、自分にとって嫌なことや愚痴ばかりだったメモ書きのようなノートも
数ヶ月もすると次第に起こったことを落ち着いて書くようになってきている。
最初、どのように書けばいいのかわからず、
思いつくままに書き散らしていた。
今から振り返ると、その頃の自分は、もうどんだけ心の中が
ぐちゃぐちゃなのかわからないけど
自分のことなのに、書いている内容がむちゃくちゃ恥ずかしいし、
書いていることが理解できないこともあるしでとても見ていられない。
でも、あのまま何も書かずに今も過ごしていたとしたら・・・と、
考えると怖い。
もう2度とあの状態には戻りたくないと思う。
普段、愛用しているキングジム レザフェス ノートカバー
書くのはもっぱら夜寝る前の数分から数十分ぐらい。
基本的に、毎日5行ぐらいを書く。
多いときには1ページになることもある。
書いた日には、なにも思わない、気づかないことが多い。
しかし、週末に1週間分を読み返してみるといろいろと考えさせられる。
前の自分が気づいてくれたこと、
そのときに起きた出来事から考えさせられることなどなど。
気づいたことを、さらに書き足したり、気に入った写真やイラストを貼ってみたりしていると
静かで、しかし、とても充実した思いになることができる。
おいしいものを食べる。
起業のCM戦略にのって何かを買ってみる。
(買っても幸せを感じるのは買った瞬間ぐらいなのに。)
飲んで騒いでみる。
刹那的な逃避では、とても得られない感覚だ。
そして、モレスキンに自分が納得できた”ことば”を綴る。
機会があるごとに、この言葉たちを見返す。
自分が腹のそこから納得できた言葉には力がある。
時間がかかるんだ。
自分の中で熟成するまでには。
また、気づいたことも時間が経つと忘れてしまう。
だから、何度も何度も振り返ることも必要なんだと思う。
最初は、自分にとって嫌なことや愚痴ばかりだったメモ書きのようなノートも
数ヶ月もすると次第に起こったことを落ち着いて書くようになってきている。
最初、どのように書けばいいのかわからず、
思いつくままに書き散らしていた。
今から振り返ると、その頃の自分は、もうどんだけ心の中が
ぐちゃぐちゃなのかわからないけど
自分のことなのに、書いている内容がむちゃくちゃ恥ずかしいし、
書いていることが理解できないこともあるしでとても見ていられない。
でも、あのまま何も書かずに今も過ごしていたとしたら・・・と、
考えると怖い。
もう2度とあの状態には戻りたくないと思う。
普段、愛用しているキングジム レザフェス ノートカバー
書くのはもっぱら夜寝る前の数分から数十分ぐらい。
基本的に、毎日5行ぐらいを書く。
多いときには1ページになることもある。
書いた日には、なにも思わない、気づかないことが多い。
しかし、週末に1週間分を読み返してみるといろいろと考えさせられる。
前の自分が気づいてくれたこと、
そのときに起きた出来事から考えさせられることなどなど。
気づいたことを、さらに書き足したり、気に入った写真やイラストを貼ってみたりしていると
静かで、しかし、とても充実した思いになることができる。
おいしいものを食べる。
起業のCM戦略にのって何かを買ってみる。
(買っても幸せを感じるのは買った瞬間ぐらいなのに。)
飲んで騒いでみる。
刹那的な逃避では、とても得られない感覚だ。
そして、モレスキンに自分が納得できた”ことば”を綴る。
機会があるごとに、この言葉たちを見返す。
自分が腹のそこから納得できた言葉には力がある。
モレスキンに気づきを綴る
時間がかかるんだ。
自分の中で熟成するまでには。
また、気づいたことも時間が経つと忘れてしまう。
だから、何度も何度も振り返ることも必要なんだと思う。
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