2013年5月6日月曜日

布引の滝、そして、修行僧が滝行で得たかったもの

新神戸駅から歩いて10分ぐらいのところに布引の滝がある。

意外と近いし、山道がきちんと整備されていて
街中を歩いているのと変わらないほど歩きやすい。



 布引の滝は栃木県日光市の華厳滝、和歌山県那智勝浦町の那智滝とともに
三大神滝とされ、日本の滝百選に選ばれているそうです。

(この説明文はwikipediaの記述をそのまま利用させていただきました。)




滝をみていてふと考えたのは
昔からある滝行のことです。

滝に打たれながら修業するという行為は
どのような効果を狙ったのだろうか?

就職できない
仕事がない
転職できない
不慮の事故にあった
フェイスブックの書き込みが気になるなどがない昔は、
今よりも情報が少なかったとはず。

それでも滝行をして振り払いたかった、もしくは、
雑念を消したかったことはなんだったのだろう?


今は、すぐに情報にアクセスできるだけ
”間”がなくて、つかんだ情報も
しっかりと自分の知識にする時間もなくて
誰かの発した言葉を、何とかうわべだけ自分のもののように
しゃべることが当たり前になっているように思える。

昔ならば、情報が少ない分だけ
しっかりと咀嚼していたのではないかと推測するのだが・・・。
昔の方でも悩むのならば
今の自分が日々、悩むのは仕方がないような気がするなどなど
考えながら歩いてきました。




布引の滝から20分ぐらい歩いたところにある布引貯水池。
とても自然と調和がとれた姿に感動。


都会から近いところにこんなにも美しい水を
たたえたところがあるのがとても新鮮な驚きでした。

2013年4月29日月曜日

球聖 ボビー・ジョーンズの言葉

「負け試合から多くを学び、
 勝ち試合からはなにも学ばなかった。」        ボビー・ジョーンズ


深い・・・。
球聖と呼ばれた方が言うから深い。
そして、次の言葉にも含蓄がある。


「運が訪れることを期待して努力し続けなさい。」   ボビー・ジョーンズ



起きている現象はいつでも中立(原因と結果の法則)で、
目標に向かって努力する人にとっては
どんなことも良い解釈が与えられる。
だから危機は危機ではなくて、さらなる高みへの
ステップとなって乗り越えていける。

2013年4月22日月曜日

自分はパイプだと思って地面に向かってイライラを流す

疲れてくると自分のあさましい本性が出てくる。

つい他の人のあらを探したり、
余計なことを言われたことに腹を立てたりと
夜も寝られなくなることがある。

昨夜もそんな夜だった。
気持ちがぎすぎすしてきて
誰かにいらいらをぶつけたくなっていたんだと思う。

そんな私の心を見透かしてか、
奥さんから
「天と地とつなぐ自分はパイプだと思って
 とんがった矢印を流してしまい」と
言われてはっとした。

そうだ勝手にいらいらしていたのは自分だった。
妄想が妄想を読んでしまって
他人を攻撃してやろうなどと考えていた。

どんだけ年を重ねているんだと思うと
恥ずかしくて居たたまれない。
いい男になりたい。

2013年4月13日土曜日

偉大な先輩たちに相談するという読書方法

ノートに悩みを書く。

その答えを偉大な先輩にお聞きするという積極的な姿勢で
本を開き、読んでみる。

仕事の進め方や仕事のやりがいならばドラッカー先生に聞く。
人生の悩みごとならば松原泰道先生にうかがうなど。

読んでわかったことを書く。
書いたことを眺めてみる。


この方法だと、最初から最後までを漫然と読んでいるだけでは
得られない、とても良い読後感が得られることに気がついた。

ガネーシャの教えとたらいの水



以前、夢をかなえるゾウで紹介されていることを実体験すれば
夢をかなえられるのかということをしていたが、トイレ掃除などを
実行している中で大事なことが体得できたように思う。


それは”おおきに(ありがとう)”ということ。


皆様のおかげで自分は十分に満たされて幸せだということを感じること。
その幸せの感覚を他の人へ循環させること。
(報酬を期待するのはではなくて、素直にその気持ちを表現すること)


この感覚を、二宮金次郎は「たらいの水」で表現していた。
”たらい”にはいっている水を手前に寄せようとしても
どんどん水は逃げていく。
しかし、逆に水を向こう側に送れば自分のほうへ戻ってくる。
(この話には必ず報われるという前提がついているから注意が必要だ。)

2013年3月24日日曜日

気がつけば、我が家の庭にも春がきていた

奥さんから指摘を受けるまで
気がついていなかった。

見ているようでなにも見ていないと反省。


朝露にも天地がある
(たしか、開高健の言葉だったと思う)



走ることについてについて語るときに僕の語ること  村上春樹著

「走ることについてについて語るときに僕の語ること」・・・村上春樹著

この本の中に、少々長いが引用すると

「他人と優劣を競い勝敗を争うことは、僕の求める生き方ではない。
いろいろな人がいれそれで世界が成り立っている。他の人には他の人の価値観が
あり、それに添った生き方がある。僕には僕の価値があり、それに添った
生き方がある。そのような相違は日常的に細かなすれ違いを生み出すし、
いくつかのすれ違いの組み合わせが、大きな誤解へと発展していくこともある。
その結果故のない非難を受けたりもする。当たり前の話だが、
誤解さえたり非難されたりするのは、決して愉快な出来事ではない。
そのせいで心が深く傷つくこともある。これはつらい体験だ。」

>この部分はよくある話だ。
   しかし、とても素直に心に届く。

「しかし年齢をかさねるにつれて、そのようなつらさや傷は人生にとって
ある程度必要なことなのだと、少しずつ認識できるようになった。
考えてみれば、他人といくらかなりとも異なっているからこそ、
自分というものを立ち上げ、自立したものとして保っていくことができるのだ」

「僕が僕であって、誰か別の人間でないことは、僕にとってひとつの重要な
資産なのだ。
心の受ける生傷は、そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくて
いけない当然の代価である。」

>とても真摯な言葉として読んだ。

  村上春樹さんのような方でも一般市民の私のようなことで悩んでいるんだと思うと、
  今の悩みも経験も無駄ではないと理解できて、とても素直に心が落ち着いた。
  (この本を書いたとき村上さんの年齢は50台後半)




「誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けとき、
あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったとき、
僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走る
ことによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして、自分が能力に限りの
ある、弱い人間だということをあらためて認識する。
いちばん底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、
結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけど強化したことになる。
腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を
磨けばいい。」



>つい非難を受けたら、倍ぐらいにして返してやろうとか
  反省するような目に逢えばいいなどと考えてしまって
  あとで、自分のどす黒い心にうんざりさせられたりする。

  そうじゃなくて、 
  自分と他人との違いを大切にして、自分を磨けばいいというのは
  ありきたりのようで含蓄のある言葉のように思った。